グーフィー (Goofy)の介護日記

お袋がアルツハイマーと診断されてから

人生が終ったということ

先日、認知症になってまで生きていたくない、オイラには事故死の道しかないんじゃないかと書いた。

事故にしても「こんなことしたら死ぬんじゃね?」と自覚しながら行為を実行したなら、それは自殺になるのだろうか?

今のところ理想と思っているところは、行方不明である。ナビィが逝き、お袋が亡くなれば、オイラの屍を拾う者はいなくなる。息子がいるが良くも悪くもない関係だ!オイラが死んでも「死んだんだ!?」程度で済ますだろう。と思っている。尚更、他人がオイラの死体を発見するなどという迷惑をかけたくない。

そんなふうに考えると行方不明→事故死→推定死亡が丁度いいんじゃないか。

オイラは20代の頃、やたら本を読んでいた時期がある。その中でも今も頭の片隅に残っていてフッと思い出す一冊がある。

サハラに死す 上温湯隆の一生』というノンフィクションだ!サハラ砂漠を単独、無補給(補給は考えていたかもしれない)で横断することを目指した記録だ。簡単に言うと、1回目の挑戦はラクダを餓死させて失敗する。諦めずに2回目も行くのだが、ラクダが食糧、荷物もろとも逃げてしまう。1回目は飲料、食料があり近くの村まで辿り着けた。だが2回目は何もかも失ったのだ。砂漠の藻屑となったのだろう。

そしてもう一人、理想的な死を遂げた人それは植村直己だ!数々の偉業を成し遂げたが、最後は消息不明だ。多分マッキンリーのクレバスの奥底で凍りつき、誰にも発見されることなく朽ちていくのだろう。いや凍結したまま、人知れずその身を残すのかもしれない。ただ植村氏はひとつだけ過ちを犯した。女房を残してしまったことだ。

さてお二人を紹介したところで、サハラ、マッキンリーの砂漠、山ときた。オイラは川にしよう大河だ!メコンがいい。メコンがオイラの最期を見届けてくれるだろう。そして大海原に流してくれるのだ。

なぜ川かというと、もう一人影響を受けた人物がいる。野田知佑、作家、遊び人だ。野田氏については、またの機会に書こう。ちなみに野田氏はまだ生きている。